2011年5月

5月 13 2011

奥州藤原氏 つづき

前回は藤原清衡が、母が再婚した清原氏に養われた、というところまでお話をしましたぬ(^^)

その後、1083年に清原氏に内紛がおきて、『後三年合戦(ごさんねんかっせん)』が始まりました(^^)

この合戦自体は、『源義家(みなもとのよしいえ)』の活躍や美談が語られることが多いのですが、清衡は、その源義家と結び、清原家衡らを滅ぼします(^^)

清衡は後三年合戦後に、姓を『藤原』に戻し、『藤原清衡』と名乗りました(^^)

清衡は、陸奥・出羽の押領使(おうりょうし)という地位に任命され、勢力を拡大しました(^^)

奥州産の金の経済力で、当時の中央の権力者である白河上皇や摂関家に取り入りました(^^)

そして清衡は1105年~25年にかけて中尊寺の主要部を建立したのです(^^)

次回はその中尊寺についてのお話をしていきます(^^)

by 種


5月 11 2011

奥州藤原氏

今回から、奥州藤原氏についてのお話をしていきます(^^)

奥州藤原氏の祖、『藤原清衡(ふじわらのきよひら)』は、1056年に生まれました(^^)

父は『藤原経清(ふじわらのつねきよ)』です。もとは『亘理(わたり)』姓を名のり、いわゆる藤原氏とは別の系統です(^^)

経清は、代々陸奥の『俘囚の長(律令国家に服属した蝦夷)』であり陸奥六郡を支配した『安倍頼時(あべのよりとき)』の娘婿でした(^^)

頼時が国司に反抗したことから起きた『前九年合戦(ぜんくねんのかっせん)』で、経清は頼時に味方して敗死してしまいます(^^)

清衡の母は、前九年合戦で功績をあげ勢力を拡大した清原氏の『清原武貞(きよはらのたけさだ)』と再婚します(^^)

清衡は、清原氏に養われたことから、『清原清衡』と名のることになりました(^^)

次回に続きます(^^)

by 種


5月 09 2011

中尊寺と奥州藤原氏

中尊寺が世界遺産に登録されることになりそうですね(^^)

東北地方にまたひとつ、いいニュースができました(^^)

中尊寺を建立したのは『奥州藤原氏』の祖である『藤原清衡(ふじわらのきよひら)』です(^^)

昨年、藤原氏をテーマにブログを書いてきたつながりで、次回から中尊寺と奥州藤原氏についてのお話をしていきます(^^)

今回のニュースが、東北の復興に役立つと、日本史好きとしてうれしいです(^^)

ではまた次回(^^)

by 種


5月 02 2011

四天王と方角

今回は、四天王と方角についてのお話をしていきます(^^)

仏教の、想像上の霊山である『須弥山(しゅみせん)』の中腹に住み、四方を守るとされているのが四天王です(^^)

頂上に住む『帝釈天(たいしゃくてん)』の部将です(^^)

東を『持国天(じこくてん)』、

南を『増長天(ぞうちょうてん)』、

西を『広目天(こうもくてん)』、

北を『多聞天(たもんてん)』が守っています(^^)

多聞天は『毘沙門天(びしゃもんてん)』ともいわれます(^^)

東大寺戒壇院、法隆寺金堂、唐招提寺金堂などにあるのが有名です(^^)

寺院を旅されたら、方角を気にしながら仏像などをみてみるのも楽しいですよ(^^)

みなさんはGWにどこかいかれましたか?(^^)

この時期も特別拝観、公開がたくさんありますよ(^^)
訪れてみてはいかがですか?(^^)

ではまた次回(^^)

by 種村


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