11月 09 2010
日本史のお話【181】-藤原氏のお話
火曜は藤原氏のお話をしています(^^)
今回は一気に話を進めていきます(^^)
藤原実頼のあと、摂関家の主流となったのは、藤原忠平の次男で実頼の弟である『藤原師輔(ふじわらのもろすけ)』でした(^^)
娘の『安子(あんし)』が村上天皇の皇后となり、冷泉・円融の二人の天皇を生んだからです(^^)
師輔の次男『藤原兼通(ふじわらのかねみち)』と、三男『藤原兼家(ふじわらのかねいえ)』は、兄弟で激しく摂関の地位を争います(^^)古典でもでてきますよね(^^)
昇進が早かったのは弟ですが、兄の兼通が関白と太政大臣となりました。死の直前に関白の地位を、おじの『藤原頼忠(ふじわらのよりただ)』にゆずりました(^^)
しかし兄の死後、兼家は策謀により外孫にあたる『一条天皇』を即位させて、その摂政・関白として権勢をふるいました(^^)
兼家は『東三条殿(とうさんじょうどの)』とよばれていました(^^)教科書にある、寝殿造の屋敷の模型も東三条殿のものですよ(^^)
その後、兼家の長男の『藤原道隆(ふじわらのみちたか)』が一条天皇の摂政・関白、四男の『藤原道兼(ふじわらのみちかね)』が関白となりました(^^)花山天皇を欺いて一条天皇に譲位させたのも道兼でした(^^)
道隆は権力を子の『藤原伊周(ふじわらのこれちか)』に譲ろうとしたのですが、道隆の弟にあたる『藤原道長(ふじわらのみちなが)』が登場してくるのです(^^)
今回は流れをつかんでもらいたくて、あえて一気にお話しました(^^)このほうが古典の読解にも役立つかと思います(^^)
次回は『藤原道長』『藤原頼通(ふじわらのよりみち)』です(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane



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