11月 23 2010
日本史のお話【193】-藤原氏のお話
火曜は、藤原氏のお話をしています(^^)
今回は『藤原教通(ふじわらののりみち)』からです(^^)
道長の子である教通は、1068年に兄の頼通から『氏長者』の地位を譲られ、関白となりましたが、藤原氏と外戚関係にない後三条天皇の即位により実権を失います(^^)
教通の跡をついだのは、頼通の子である『藤原師実(ふじわらのもろざね)』でした。1075年に氏長者と関白となった師実は、村上源氏との結びつきを強めていき、養女の『賢子(けんし)』は白河天皇の中宮となり、後の堀河天皇の生母となりました(^^)
師実は1086年、堀河天皇の即位とともに摂政のなり、1090年に関白となりました(^^)
師実は、子の『藤原師通(ふじわらのもろみち)』に地位を譲ります。
師通は堀河天皇を助け、白河上皇の院政には批判的であったとのことです。摂関家の勢力維持に努めた師通は、1095年に延暦寺衆徒の強訴を武力で阻止したため、『日吉山王のたたりで落命した』と言われたとのことです(^^)
師通の跡は、子の『藤原忠実(ふじわらのただざね)』つぎしまし(^^)
忠実は1107年に『鳥羽天皇』の摂政、のち関白になりましたが、天皇の信頼を失い内覧の地位を停止されてしまいます。
鳥羽天皇が上皇となり、政界に復帰した忠実は、長男の忠通(ただみち)よりも次男の頼長(よりなが)を寵愛したたため、『保元の乱(1156年)』の一因をつくってしまいます(^^)
藤原忠通は、保元の乱ののち、氏長者の地位に戻ります。父の流罪を免れさせた忠通は、子の基実(もとざね)に氏長者と関白の地位を譲り出家します(^^)
ここで、『藤原』の名が日本史の教科書から姿を消すことになります(^^)
次回、藤原氏のお話の最終回です(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane



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