11月 16 2010

日本史のお話【187】-藤原氏のお話

火曜は藤原氏のお話をしています(^^)

今回は『藤原道長』『藤原頼通』です(^^)

道長は、兼家の五男として生まれました。兄たちの死後995年に右大臣となり、兄の子の藤原伊周・隆家兄弟を失脚させて、翌996年には左大臣になります(^^)

娘の彰子(しょうし)は一条天皇皇后、妍子(けんし)は三条天皇皇后、威子(いし)は後一条天皇皇后となり、三代の天皇の外戚として、藤原氏の全盛時代を迎えました(^^)

1017年に子の藤原頼通に摂政を譲り、太政大臣になりました。『御堂関白』といわれますが、実際には内覧の宣旨をもらったのみなのです(^^)

晩年は出家して法成寺(ほうじょうじ)を建立しました(^^)日記『御堂関白記』を残しています(^^)

頼通は、後一条、後朱雀、後冷泉の三代の天皇の摂政・関白として、52年の間全盛期を維持します(^^)

しかし、後冷泉天皇に入内した寛子(かんし)に皇子が生まれず、外戚関係にない後三条天皇が即位したことで苦しい立場になり、弟の藤原教通(のりみち)に関白の地位を譲りました(^^)

1052年に、宇治の別荘を寺に改め平等院としました(^^)『宇治殿』『宇治関白』などと呼ばれました(^^)

今回はみなさんもよくご存じのお話ですね(^^)

次回は『藤原教通』から『藤原忠通(ただみち)』までをお話します(^^)このお話もそろそろ終わりを迎えます。お楽しみに(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by Tane


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