10月 12 2010

日本史のお話【162】-藤原氏のお話

火曜は藤原氏のお話をしています(^^)

今回は前回の『藤原基経』の続きです(^^)

基経を実質上の関白とした光孝天皇のあと、皇子であった宇多天皇が887年に即位し、基経を正式に関白にしようとしました。ここで事件が起こりました。『阿衡事件』です(^^)

宇多天皇が基経を関白としましたが、慣例で基経は一度辞退しました。そこで天皇は再度、『阿衡の任をもって卿(きょう)の任とせよ』との詔を与えました(^^)

この詔は天皇の信頼が厚かった橘広相(たちばなのひろみ)が作成したのですが、広相を嫉妬していた藤原佐世(ふじわらのすけよ)が、『阿衡は中国古代の官名で実権がない』と基経に話しました(^^)

これを聞いた基経は、若い天皇に自分の力を認めさせる機会ととらえて、抗議として半年間政務をとりませんでした。

これに困惑した天皇は、ついに広相に責任をとらせて詔を訂正し、888年に天皇と基経は和解しました(^^)

正式に関白となった基経は、天皇に関白の権威を認めさせることに成功し、藤原摂関政治を確立したのでした(^^)

『関白』の名は、天皇への奏上(天皇に申し上げること)や天皇からの詔勅(天皇からの文書や命令)は、すべて太政大臣に『関り白させる(あずかりもうさせる)』、というところからきています(^^)

次回は、基経の跡をついだ『藤原時平』です(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by タネ


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