高校日本史×英語マスターブログ

10月 15 2010

日本史のお話【165】-人物のお話

金曜は、日本史についていろいろなことをお話しています(^^)

今回は東大寺再建に尽力した『重源(ちょうげん)』についてです(^^)

1121年生まれの重源は、はじめは醍醐寺で真言宗を学びましたが、のちに法然について浄土宗に帰依しました(^^)

1167年までに三度、宋に渡ったことがあるとのことです。1180年、平重衡(たいらのしげひら)の兵火により東大寺が炎上したさい、勧進職(社寺や仏像の建立、修繕のために金品を募る任務)につきました(^^)

東大寺再建には、源頼朝の寄進もありました。重源は諸国を勧進し、10年あまりをかけて、再建は完成しました(^^)

大仏殿の再建には、宋の陳和卿(ちんなけい)という工人の助力を得て、大仏様(だいぶつよう)といわれる様式の大仏殿が1195年に完成したのでした(^^)

この間も、民衆教化や救済などの社会事業も推進し、地方の寺院の建立にも尽力しました(^^)

このあたりのお話は、以前に問題の形でふれましたが、あらためて重源についてお話をしたくなり、今回のお題としました(^^)

ちなみに、仏師の快慶は重源に師事しました(^^)

今年は奈良がブームですが、東大寺を訪れたら重源上人を思い出してみてくださいね(^^)

受験生の方は、東大寺をテーマに文化をまとめておくといいと思います(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by Tane


10月 14 2010

英語のお話【164】-センター試験対策

木曜は英語のお話をしています(^^)

10月6日で、今年度のセンター試験まであと100日を切りました(^^)そこで今回は、『センター試験によく出る表現』をまとめてみます(^^)

次の表現の意味は?

①according to ~

②therefore

③in contrast

これらをよく見かけませんか?(^^)ひとつひとつ見ていきましょう(^^)

①は、『~によると』ですね(^^)適語補充や、第四問のグラフや図表の長文問題でよく出ます。これはマストですよ(^^)

②は、『ゆえに』です。補充問題の定番です。普段あまりみかけないので要注意です(^^)

③は、前文の内容を受けて『対照的に』です。これとまぎらわしいのが、“on the contrary”です(^^)こちらは文中で使うと『それと比べて』、文頭で使うと『それどころか』となり、否定的内容を導きます(^^)

これからの追い込みの時期に役立つお話もしていきます(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by Tane


10月 13 2010

日本史のお話【163】-日本史スポット

水曜は、日本史の気になる場所についてお話をしています(^^)

今回は、琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)にある『都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)』です(^^)

本殿は、豊臣秀吉の子の秀頼が、京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)の一部を移建したものとされています(^^)

隣接する宝厳寺(ほうごんじ)の唐門も豊国神社の唐門を移建したものとされています(^^)

元々は『神社』だったのですが、平安時代以降の『神仏習合(神道と仏教を調和させようとする考え)』により、神宮寺(神社に付属した寺)として宝厳寺ができました(^^)

明治時代になり、『神仏分離政策』により、弁財天堂を本殿として、神社として独立しました(^^)

本殿と宝厳寺唐門、『竹生島経』と呼ばれる平安時代の装飾法華経は国宝です(^^)重要文化財も多くあります(^^)

一度訪れたいと思っています(^^)みなさんはいかれたことありますか?(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by Tane


10月 12 2010

日本史のお話【162】-藤原氏のお話

火曜は藤原氏のお話をしています(^^)

今回は前回の『藤原基経』の続きです(^^)

基経を実質上の関白とした光孝天皇のあと、皇子であった宇多天皇が887年に即位し、基経を正式に関白にしようとしました。ここで事件が起こりました。『阿衡事件』です(^^)

宇多天皇が基経を関白としましたが、慣例で基経は一度辞退しました。そこで天皇は再度、『阿衡の任をもって卿(きょう)の任とせよ』との詔を与えました(^^)

この詔は天皇の信頼が厚かった橘広相(たちばなのひろみ)が作成したのですが、広相を嫉妬していた藤原佐世(ふじわらのすけよ)が、『阿衡は中国古代の官名で実権がない』と基経に話しました(^^)

これを聞いた基経は、若い天皇に自分の力を認めさせる機会ととらえて、抗議として半年間政務をとりませんでした。

これに困惑した天皇は、ついに広相に責任をとらせて詔を訂正し、888年に天皇と基経は和解しました(^^)

正式に関白となった基経は、天皇に関白の権威を認めさせることに成功し、藤原摂関政治を確立したのでした(^^)

『関白』の名は、天皇への奏上(天皇に申し上げること)や天皇からの詔勅(天皇からの文書や命令)は、すべて太政大臣に『関り白させる(あずかりもうさせる)』、というところからきています(^^)

次回は、基経の跡をついだ『藤原時平』です(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by タネ


10月 11 2010

日本史のお話【161】-問題の答え

月曜は、週末の問題の答えです(^^)

答えは、①最澄が『伝教大師(でんきょうだいし)』、②円仁が『慈覚大師(じかくだいし)』、③円珍が『智証大師(ちしょうだいし)』でした(^^)

号など、ある人物をさす名称がよくでる大学もあります。受験される方はしっかり準備しておきましょう(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by Tane


10月 09 2010

日本史のお話【160】-問題

週末は日本史の問題を出しています(^^)

先週、今週と天台宗にちなんだお話をしました。

そこで、今回は僧の『諡号(おくりな)』の問題です(^^)

空海の『弘法大師』は有名ですね。では①最澄の号はなんですか?②円仁、③円珍の号はそれぞれなんですか?(^^)

よく出る号をここで一発でまとめておきましょう(^^)

よい週末をお過ごしください(^^)月曜にお会いしましょう(^^)

by タネ


10月 08 2010

日本史のお話【159】-人物のお話

金曜は日本史について思い浮かぶままに、いろいろなお話をしています(^^)

今回は、先週の『円仁』のお話の続きを(^^)

円仁ときたら、忘れてはいけない人物が『円珍(えんちん)』です。

空海の姪の子で、15歳で比叡山に入り12年間修行し、853年に唐に渡り、帰国後の868年に第五代天台座主になりました。

ところで、円仁と円珍、この二人の仏教解釈の相違から、内部で末流が対立をします。993年に円仁派が比叡山の円珍派の坊舍を焼き払ってしまいます。

そのため、円珍門流は比叡山を下りて麓の園城寺(三井寺)にはいり『寺門派』となり、円仁門流は比叡山延暦寺に残り『山門派』となりました(^^)

この争いは500年にわたり続いたとのことです(^^)

延暦寺と園城寺、訪れてみてはいかがですか(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by タネ


10月 07 2010

英語のお話【158】-語法のまとめ

木曜は英語について、文法、語法や勉強法のお話をしています(^^)

今回は、受験、試験対策として、“enough”の用法のお話を(^^)

語順を問う問題でよく出る“enough”ですが、少し注意が必要な語句です(^^)

“enough”は、①形容詞、②副詞の2つの意味があります。

①形容詞の場合、名詞のまえについて、『enough + 名詞』の形で『十分な~』という意味を表します(^^)

②副詞の場合には、形容詞や副詞のうしろについて、『形容詞 or 副詞 + enough』の形で『十分に~』という意味を表します(^^)この形は不定詞の問題でよく見かけると思います(^^)

enoughの用法、しっかり押さえておいてくださいね(^^)

細かいところですが、『そこまでやった』という自信が合格を引き寄せますよ(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by タネ


10月 06 2010

日本史のお話【157】-日本史スポット『百済寺』

水曜は、日本史について気になる場所のお話をしています(^^)

今回は、最近よく目にして気になっている『湖東三山』のひとつ、『百済寺(ひゃくさいじ)』についてです(^^)

琵琶湖の東、滋賀県中東部を『湖東』といいます。その地にある三つの寺が『湖東三山』で、『西明寺』『金剛輪寺』『百済寺』のことです(^^)

百済寺は聖徳太子の創建といわれ、その名のとおり百済人の関与があると考えられる寺です(^^)

何度も戦火で焼かれ、1573年には寺が城砦と化していたことから織田信長にも焼かれています。

その後、徳川家康から寺領を寄進され、1652年にいまある本堂などか再建されました(^^)

本尊である十一面観音像や、『絹本着色日吉山王神像』など重要文化財も多くあります(^^)

紅葉もきれいらしいので、これからの季節、一度訪れてみたいです(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by タネ


10月 05 2010

日本史のお話【156】-藤原氏のお話

火曜は、藤原氏のお話をしています(^^)

今回は『藤原基経(ふじわらのもとつね)』です(^^)

基経は、836年に藤原冬嗣の長男長良(ながら)の子として産まれましたが、良房の養子となりました。

良房の跡をついで876年に摂政になりました。陽成天皇(ようぜいてんのう)のおじである基経は、880年には太政大臣になります。しかし、陽成天皇が元服すると、基経と対立するようになりました(^^)

そこで基経は884年に陽成天皇を廃して、55歳であった光孝天皇(こうこうてんのう)を擁立しました。光孝天皇は、藤原北家の支流の血をひいていました。

光孝天皇は基経の功にむくいるために、基経に天皇をたすけ百官をひきいて政治をとるよう命じ、基経は事実上最初の関白になりました(^^)

次回続きをお話します(^^)

ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪

by タネ


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