10月
27
2010
水曜は、日本史にちなんだ場所のお話をしています(^^)
今回は『石舞台古墳』です(^^)
奈良県高市郡明日香村にある石舞台古墳は、みなさんも写真でみたことがおありだと思います(^^)
墳丘の底面は一辺約50メートルで、周囲に濠をめぐらした方墳(墳丘平面が方形)もしくは上円下方墳(上部が平面円形、下部が平面方形)と考えられています(^^)
はやくから盛土がなくなり、巨大な横穴式石室(横から出入りできる墓室で、追葬可能)が露出しています(^^)
その外観が舞台のようにみえることから『石舞台古墳』と名がつきました。長さ約7.7メートル、幅3.5メートル、高さが4.7メートルあります(^^)
飛鳥時代の豪族、蘇我馬子の墓といわれています(^^)
奈良を訪れたい気分が高まってきています(^^)奈良もいろいろ巡りたいです(^^)
みなさんは今年行かれましたか?(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
26
2010
火曜は、藤原氏のお話をしています(^^)
今回は『藤原忠平(ふじわらのただひら)』です(^^)
基経の四男である忠平は880(元慶4)年に生まれ、兄の時平の死後に一族の代表である『氏の長者』になりました(^^)
温厚、勤勉で人望もあったとされており、醍醐天皇の信頼があつかった忠平は、『延喜の治』を補佐しました。『延喜式(式は、法令の施行細則)』を完成させています(^^)
930年に醍醐天皇が死去し、子の朱雀天皇が即位すると、忠平は摂政になります。936年には太政大臣、941年には関白になりました(^^)
この間には承平・天慶の乱(平将門、藤原純友の乱)が起きています。地方政治のみだれ、律令体制の崩れのなかの出来事でした(^^)
諡は『貞信公(ていしんこう)』で、『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』以下の勅撰和歌集に十三首が入っています(^^)
また日記の『貞信公記』は抄本が現存しており、当時の様子がわかる貴重史料です(^^)
普段の勉強のなかでは、あまり触れない人物ですが、いかがでしたか?(^^)
次回は忠平の子の『藤原実頼』です(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
25
2010
月曜は、週末の問題の答えです(^^)
答えは『後一条天皇』でした(^^)
後一条天皇(1016~1036年在位)は母が藤原道長の娘の彰子(しょうし)です。藤原摂関政治全盛期の天皇でした(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
23
2010
週末は、日本史の問題を出しています(^^)
今回は、ちょっと変わった問題を(^^)
日本史上には、『後鳥羽天皇』『後醍醐天皇』など、『後』のつく天皇がいます(^^)
『血統のつながり』『治世の理想とした』などから諡号につく『後』ですが、ここで問題(^^)
最初に『後』がつく天皇はどの天皇ですか?(^^)
復習しながら探してみてください(^^)
よい週末をお過ごしください(^^)月曜にまたお会いしましょう(^^)
by Tane
10月
22
2010
金曜は、日本史についていろいろお話をしています(^^)
今回は、明治の実業家『渋沢栄一(しぶさわえいいち)』のお話です(^^)
武蔵国の血洗島(いまの埼玉県深谷市)に生まれた栄一は、初めは倒幕運動に参加していたのですが、のちに一橋家(徳川御三卿のひとつ)に仕え幕臣となる、という一風変わった経歴をもちます(^^)
幕末の1867年に渡欧し、新しい知識を吸収してきた栄一、明治に変わって帰国してからは大蔵省に出仕し、国立銀行条例制定に活躍しました(^^)
1873年に退官したのちは、第一国立銀行、王子製紙、大阪紡績会社など500以上の会社の設立に関与しました。朝鮮や中国への投資も企てるなど、日本の資本主義の発展に貢献しました(^^)
1916年に実業界を引退してからは、東京商科大学(一橋大学の前身)などの実業教育機関や社会事業に尽力しました(^^)
関与した会社には、ほかにも帝国劇場、東急不動産、東京海上火災保険などもあります(^^)
『第一国立銀行』で有名な渋沢栄一ですが、非常に多くの会社に関与していたのです(^^)
今回もお話を通して、自分も勉強できました(^^)みなさんも楽しんでいただけたらうれしいです(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
21
2010
木曜は英語のお話をしています(^^)
今回は『仮定法』についてのお話です(^^)
入試を想定した場合、まずチェックしておきたいのが基本型です(^^)仮定法はホントに基本型が大切です(^^)!!
①仮定法過去が
“If 主語 過去形~,主語 助動詞過去形 動詞原形…”でしたね(^^)
仮定法は『反事実』なので、『現在の事実』とちがうことを表すために、『現在から離れた』過去形を使うのです(^^)
②仮定法過去完了は
“If 主語 had 過去分詞~, 主語 助動詞過去形 have 過去分詞”でしたね(^^)
同じく、『過去の事実』とちがうことを表すために、『過去から離れた』過去完了形を使うのです(^^)
この基本型に合うように穴うめや選択する問題がほとんどです。
③『“should”や“were to”がつくとき以外に、現在形や現在完了をつかうことはない』、がポイントです(^^)
あとは、
④倒置があるとIfがなくなる(倒置は、話し手の感情の高まりや強調。Ifの意味がそこに表れてくるからです)
⑤as if~、I wish~
もわすれずに(^^)
仮定法、今のうちにまとめて攻略しておくと、とても役立ちますよ(^^)
『助動詞過去形みたら仮定法?』とまず考えてみてください(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
20
2010
水曜は、日本史にちなんだ場所のお話をしています(^^)
今回は『伽藍配置』についてのお話です(^^)
みなさんが寺を訪れた際に、本堂や金堂、塔の配置は様々ですよね(^^)寺院の主要建物の配置が『伽藍配置』です(^^)
配置は時代によって異なります。奈良時代以前は、塔を中心にしてその東・北・西に金堂を配置する『飛鳥寺式』、塔・金堂・講堂を一直線に配置する『四天王寺式』があり、『法隆寺式』『薬師寺式』『東大寺式』が時代に沿って続きます(^^)
時代とともに、仏舎利(釈迦の遺骨)をまつる塔の位置が中心から遠ざかっていくのが特徴です(^^)
平安時代以降、密教寺院が山中に伽藍を営むようになり、配置は地形に合わせ不規則になります(^^)
鎌倉時代の禅宗寺院では、左右対称の配置になり、三門(三解脱門)と仏殿と法堂を中心線上に配置するようになりました(^^)
近世寺院では、本堂と祖師堂(開山堂や大師堂ともいいます)を左右に並べて配置することが多いです(^^)
訪れたら、配置も楽しんで見てみてください(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
19
2010
火曜は、藤原氏のお話をしています(^^)
今回は『藤原時平(ふじわらのときひら)』です(^^)
871年に基経の長男として生まれた時平は、899年に左大臣となります(^^)
ところで、891年に基経が死去すると当時の宇多天皇は関白をおかずに、『阿衡事件』解決に努め信頼を得た学者出身の菅原道真を、蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢し、藤原氏をおさえようとしました(^^)
897年に宇多天皇の跡をついだ醍醐天皇(だいごてんのう)も、摂政・関白をおかず、時平の左大臣昇進と同時に道真も右大臣として、天皇親政を行いました(^^)
ここからはみなさんご存じかもしれませんね(^^)901年、時平は策謀により道真を太宰権帥(だざいのごんのそち、太宰府現地の実質的長官)に左遷させ、調停の実権をにぎり藤原政権を確立しました(^^)
醍醐天皇が摂政・関白を置かなかっため、摂政・関白にはなりませんでした。『本院大臣(ほんいんのだいじん)』と呼ばれていました(^^)
時平は最後の荘園整理令となる『延喜(えんぎ)の荘園整理令』をだしたり、法令集である『延喜格(えんぎきゃく)』を編集するなど、律令体制維持に努力しました。また歴史書である『日本三代実録』の編集にも関わるなどしました(^^)
少しダーティなイメージがある時平ですが、日本史の中でトピックとなるような出来事にしっかり関わっていたのです(^^)
次回は、時平の跡をついだ『藤原忠平』です(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
18
2010
月曜は、週末の問題の答えです(^^)
答えは、①恭仁(くに)、②難波、③紫香楽(しがらき)、でした(^^)
順番がポイントですよ(^^)
都を転々とする間も社会不安が深刻になったことが、国分寺建立の詔や大仏造立の詔につながったとされています(^^)
ありがとうございました(^^)明日もお楽しみに(^^)♪
by Tane
10月
16
2010
週末は、日本史の問題を出しています(^^)
今回は聖武天皇についての問題を(^^)
『740年の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は都を山城の(①)、摂津の(②)、近江の(③)と移した。(③)でた大仏造立の詔が出された』
カッコに当てはまる語句を考えてください(^^)
解答を送ってくださっている方がいて、とても張り合いがあります(^^)ありがとうございます。今回もお待ちしています(^^)
よい週末をお過ごしください(^^)月曜にお会いしましょう(^^)
by Tane